妙蓮寺

御堂案内

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両親閣妙蓮寺

本堂 御両親御廟堂 感応堂 二十三夜堂 蘇生桜 広布梅 本堂 御両親御廟堂 感応堂 二十三夜堂 蘇生桜 蘇生桜

本堂

 日蓮聖人は法華経信仰のご本尊として大曼茶羅(だいまんだら)を書かれました。
本堂には文字によって書かれた大曼茶羅の仏様を、仏像彫刻とした立体曼荼羅をご本尊として安置されております。

 

十界曼荼羅(じっかいまんだら)
日蓮宗の本尊。日蓮の創始した曼荼羅図。図中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書、その周囲に十界を書き、これによって『法華経』の真実を図示したものとする。
すなわち、中央と周囲との関係は、久遠成仏の本仏と迹門としての世界との一体不二の妙理を示す。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

 

安政4年(1857)建立。

御廟堂

御廟堂内には、日蓮聖人のご両親の御像、御石塔が奉安されております。
また中央にはお父様がなくなられた際にお墓の横にお手植えされたと言われる広布梅の古木が安置されております。

感応堂

当山には感応堂(かんのうどう)というお堂があります。このお堂には中央に宗祖大聖人、左右に妙日尊儀、妙蓮尊儀を配した御三尊を奉安し、一木三体、一家和合の御尊像とも称します。宗門では祖師堂にあたりますが、当山では日蓮聖人のご家族がまつられておりますこともあり、感応堂と称しております。
宗教用語としての「感応」とは、人に対する仏の働きかけと、それを受け止める人の心。また、信心が神仏に通じることとあります。
「文永元年(1264)の秋、宗祖大聖人御尊父の七回忌並び老後の御尊母の御見舞のため鎌倉より御帰省になられた折、すでに息絶えられた御尊母の蘇生延寿を御祈念せられたところ、大聖人の御孝心に天も感応を示し、法華経の功徳忽ち現れて蘇られ、更に4年の寿命を延ばされた」という日蓮聖人とお母様の蘇生の史実から名付けられました。
感応堂の前ではまず信じる心を持って行動することを約束して下さい。そしてそれを実践することこそが信仰の本来の意味だと考えます。

二十三夜堂

二十三夜堂には得大勢二十三夜大月天王が、御奉安され海上安全等の守護神として崇拝されており、又同じ堂内に妙之浦大弁財天も御奉安されております。
妙之浦大弁財天は日蓮大聖人のご誕生を祝し、海辺に大鯛小鯛が群れをなしました。
以来、小湊では鯛を保護して現在の鯛ノ浦(妙ノ浦)の名所を残して居りますが、その鯛の浦の守護神であります。正月十八日には日蓮大聖人御報恩と妙の浦弁財天への感謝を捧げる為、小湊の住民総出仕で妙ノ浦弁天祭が催されます。

蘇生桜

お父様の7回忌の法要と老後のお母様のお見舞のため日蓮聖人は帰郷されました。
お母様が息絶えた所に着かれた日蓮聖人は大変おどろき、すぐに山より浄水を採り、本尊をしたためこれを松の枝にかけ、護符とともに浄水を口にそそいだところ、お母様は蘇生されその後4年間延寿されました。
後にこのことより、日蓮聖人は蘇生願満の祖師といわれるようになりました。
この桜は文永元年、お母様が蘇生されたのを記念して日蓮聖人が御手植された桜で、現在のものは五代目(第五芳枝)であります。

蘇生の妙符は現在も妙蓮寺に伝わっております。

広布梅

お父様の入滅の報せをうけた大聖人は、いそぎ帰郷され追孝の誠を尽されました。
喪に服す間お父様の墳墓の傍らに梅を植樹され御冥福を祈られました。
この梅はやがて馥郁たる香りを放つようになり、お釈迦様の教えが梅の香りのように世に広まりますようにとの日蓮聖人の御言葉に基づいて、広布梅と名づけられました。