妙蓮寺

日蓮大聖人の御孝道

「孝と申すは高なり、天高けれども孝よりは高からず。又孝とは厚なり、地厚けれども孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝の家よりいでたり。何に况んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや」
(開目鈔)

宗祖日蓮大聖人の御遺文四百余編のうち、御孝道についての御教えは開目鈔をはじめ、随所に拝読することができます。

建長5年、仏道研鑚のすえ、法華経を末法(まっぽう)の世に弘めるため「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん」と大誓願を起し、故郷にお帰りになった大聖人は、先ず御両親に法華経をすすめ給い、天に日輪のあるように御父には妙日、清きこと蓮の花のように御母には妙蓮とそれぞれ法号を贈られ、御自らは御両親の一字ずつを冠して日蓮と改められ、父母と子と共々に声高らかにお題目を唱え、孝養の第一をつくされ、正法弘通、立正安国の大業に旅立たれたのであります。

以来、正法広宣流布のため「大難四ヵ度、小難は数知れず」文字どおり「我不愛身命 但惜無上道」のご生涯を、つねにお心にある御両親と共にお過しになられた大聖人は、ご法難に際し懇ろなる庇護をうけられては「わが父母の生れ替り給うか」と御感覚になり、思親至孝の誠を身をもって実践されたのであります。

「一切善根の中には孝養父母第一にて候」と喝破された大聖人はさらに「世を安んじ国を安ずるを忠となし孝となす」との信念の許に、権勢を恐れず、権力に屈せず、名利を捨てて法華経を説き、立正安国の道を説かれたのであります。

宗祖晩年九ヵ年身延山に御隠棲の間「さすが恋しくて吹く風立雲までも東の方と申さば庵を出て身に觸れ」て故郷を偲び、五十余丁の嶮しい山道を攀じ登られては、遥かに房総小湊の空に向って御両親に追孝の誠をいたし、「内典の孝経」法華経の貴さと孝道を具体的にお示しになられているのであります。

御尊母の御遺髪を片時といえども肌身離さず思親至孝の誠を尽された大聖人にして、はじめて法華経広宣流布、立正安国の大志に徹せられたのであります。

洋の東西を問わず親が子を思い、子が親を慕う姿こそ、最も自然であり、最も平和な美しい姿であります。

争いと人間不信に満ちた地球に永遠の平和を築き上げる最も強い礎となるものは、こうした親と子の姿であります。

受け難き人身をこの世にうけ、価い難き法華経に価い奉る好機に恵れ、宗祖日蓮大聖人のみ教えを受けることのできることを先ず父母に感謝し、大聖人の御孝道の跡を慕い奉り、世界立正平和確立の基礎となる知恩報恩に励みましょう。

思親大孝の霊地

当山は両親閣・妙日山・妙蓮寺と号し宗祖御両親御栖神の霊地であります。

御尊父妙日尊儀(貫名次郎重忠公)正嘉2年(1258)2月14日御入寂せられ、宗祖大聖人、御尊父墓所の傍らに草庵を結び、悲母妙蓮尊尼と供に住し修喪一百日一代大意鈔を御撰述、追孝の誠を尽されました。この御草庵こそ今の両親閣の初めであります。

御尊母妙蓮尊儀(梅菊御前)文永4年(1267)8月15日御入寂の折、御尊父妙日尊儀の御霊域に御尊母の墓塔を建立し、宗祖御自ら御両親の法号を冠して妙日山妙蓮寺と命号せられた宗門唯一の霊地であります。

宗祖晩年九ヵ年の間甲州身延山に御隠棲、御両親を追慕せられ、現在の身延山思親閣の位置より遥かに当山の御廟所を拝され、法華経を誦しお題目を唱えて御追孝、御回向をなされた宗祖日蓮大聖人大孝根本の霊地であります。当山は御尊父妙日尊儀、御尊母妙蓮尊尼を開祖に仰ぎ、開基中老僧寂日房日家上人、誕生寺三世日静上人が当山両親閣に移住し堂宇を建立せられたのであります。

境内には両親閣御廟堂、感應堂、本堂、二十三夜堂、鐘楼堂等があり眼下に太平洋を望み、宗祖御孝道根本の地に相応しい霊域となっております。